- 神様のカルテ (小学館文庫)
- 夏川 草介
- 小学館 2011-06-07
- 評価
- 小学館 2011-06-07
感想
本屋さんで並んでるのが気になってて、文庫本を見かけたので読んでみました。非常に読みやすかったし、面白かったです。お医者さんのお話なので、読む前は「さぁ感動しろ~泣け~」っていうゴリ押しストーリーだったらどうしようかと思いましたがそんなこともなく。静かで穏やかで暖かいお話でした。
主人公のイチ先生こと、栗原一止(いちと)の口調がまず面白い。
ちなみに、私の話しぶりがいささか古風であることはご容赦願いたい。これは敬愛する漱石先生の影響である。学童期から『草枕』を愛読し、全文ことごとく暗誦するほど反読していると、こういうことになる。瑣末な問題のはずだが、世の人々はこの一事をもって私のことを変人と笑うのだから嘆かわしい。このような場合は、彼らの不寛容をこそ笑い飛ばせばよいのだ。(P11)
このオモシロ口調で他の登場人物達とも会話をしてて、それが楽しくてしょうがなかったw 私が草枕を読みたくなったのはイチ先生の影響です。
この本でイチ先生は悩みます。大学病院からのお誘いに乗り最先端の医療を学ぶか、このまま地方の病院に務めるか。最先端を学ぶことも一つですし、そういう風に、どんどん先に進んでいくことをよしとする風潮などはなんとな~く世の中色々なところにあって。でもそこで流されず、自分の意思でそこに留まることができるイチ先生がかっこいいなぁと思ったし、見習いたくも思いました。
イチ先生のアパートと奥さん含むそこの住人達は、このお話全体からすると少し浮いていて、大分ファンタジーだと感じました。違和感が残った。うーん、なんなんでしょう。必要な要素、だったかな…?かといってない方がよかったとも言い切れなくて。わからん、保留!2巻を読んだら印象変わるかもしれない。
そして今回もまた、酒がうまそうである。
引用
「一に止まると書いて、正しいという意味だなんて、この年になるまで知りませんでした。でもなんだかわかるような気がします。人は生きていると、前へ前へという気持ちばかり急いて、どんどん大切なものを置き去りにしていくものでしょう。本当に正しいことというのは、一番初めの場所にあるのかもしれませんね」(P200)
助かる可能性があるなら、家族の意思など関係なく最初から医者は全力で治療する。問題となるのは、助からぬ人、つまりは寝たきりの高齢者や癌末期患者に行う医療である。
現代の驚異的な技術を用いて全ての医療を行えば、止まりかけた心臓も一時的には動くであろう、呼吸が止まっていても酸素を投与できるであろう。しかしそれでどうするのか? 心臓マッサージで肋骨は全部折れ、人工呼吸の機械で無理やり酸素を送り込み、数々のチューブにつないで、回復する見込みのない人に、大量の薬剤を投与する。
これらの行為の結果、心臓が動いている期間が数日のびることはあるかもしれない。
だが、それが本当に“生きる”ということなのか?(P212)
当たり前のように、ずっと以前から結論はそこにあったのだ。
迷うたときにこそ立ち止まり、足元に槌をふるえばよい。さすれば、自然そこから大切なものどもが顔を出す。
そんなわかりきったことを人が忘れてしまったのは、いつのころからであろうか。
足もとの宝に気づきもせず遠く遠くを眺めやり、前へ前へとすすむことだけが正しいことだと吹聴されるような世の中に、いつのまになったのであろう。
そうではあるまい。
惑い苦悩した時にこそ、立ち止まらねばならぬ。(P245)
リンク
- 神様のカルテ|小学館(小説公式ページ)
- 映画『神様のカルテ』公式サイト(8/27公開らしい。トレーラーみたら感動モノの映画にされてそうな…)
- 神様のカルテ – Wikipedia
- 夏川草介 - Wikipedia
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