2012-03-11

震災とアンパンマンマーチ

以前ブログに書きましたが、震災後一週間のストレスで私は死を感じました。あまりにストレスがたまって、でも自分では解決できなくて、知識がなくて、ただただこわくて、眠れないのに眠くなくて、食欲もなくて、異状で、異状なのが自分でもわかってて。そして3/17日の夜に、「あ、もう少ししたら死ぬ」と感じた(察した?わかった?)んです。デスノートに名前書かれた人みたいに、心臓がウッ!ってなって死ぬ。ああいうイメージ。でも今晩だけどうにか生きて、明日の朝になったら家族に相談しよう、弱音を吐こう。そう決めて一晩過ごしました。

そのストレスは、18日の朝に家族に弱音を吐き、励ましてもらったのがきっかけでグングン減りました。落ち着いて情報を処理したり受け流したりできるようになっていった。

震災で得た大きなものの1つに、弱音を吐けるようになったというのがあります。私は弱音は吐いてはいけないと思っていた。問題は一人で解決しなければいけないと。
でも、「生きたいんだけど私は今すぐ死ぬのか?生きるために今だけ逃げられないのか?」というその時の大きな不安を吐露できたことで、それ以降、もっと小さな不安や相談を家族や知り合いに吐けるようになりました。生死が関わるギリギリまで行かないと人に相談できないのかって、どんだけ頑固なんだって感じですねwうはは

そして自分のストレスへの耐性(?)の限界を知れたことで、強くなりました。このくらいのストレスならまだ大丈夫、とかね。気楽にストレスと向き合えるようになりました。うふふ。

前節が長くなりましたが、そんな恐怖の中でスッと入ってきた音楽の一つにアンパンマンマーチがあります。アンパンマンマーチは、極度のストレスが溜まっていた時にラジオから流れてきました。それまでは子どものための曲だと思ってたし、歌詞の意味もよくわからなかった。そんな印象でした。

やなせたかし作詞、三木たかし作曲

アンパンマンマーチにこんな歌詞があります。

なんのために うまれて
なにをして いきるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ!

震災以降(それとここ数年に身内で起こった出来事)は、生きること・死ぬことを具体的に考える機会が増えました。私はできる限りの長生きはしたいけれど、もし死が身近になった時に、自分の人生に満足して納得して死にたい。それが私の人生最大の夢であり、最終目標です。

そのためにはどう生きるかが大事です。何にも抑えられず、根っこの自分、本当の素直な気持ちはなんだろう?自分は何をしたい?何が好き?何をして、どう生きる?可能性は無限大です。何でもできるし、何にでもなれる。ワクワクします。

更に、こんな歌詞もあります。

なにがきみの しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ!

この部分が一番ピンと来なかった部分です。「きみ」というのがわからなかった。歌い手が私で聞き手が子どもだとしたら、その子どもが「きみ」だと思ってたんです。でも、この「きみ」はきっと私。歌い手自身でしょう。

何が私の幸せだろう?何をしたら嬉しいんだろう?それがわからないまま人生が終わったら…いやですね。好きなこと、幸せで楽しいことをして生きていこうって前向きに感じられる歌だと思います。

アンパンマンマーチは小さい時から身近にあったのに、その意味に気づいたのはやっとここ最近です。

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最後に。福島の食べ物が福島県内でも避けられがちで、安売りされたりしています。それは消費者の選択の1つだけど、「なんとなく怖いから買わない」っていうのはいやだ。震災から1年経ちますよ。毎日耳にしたり目にしたりする情報です。それなのに、いまだに「なんとなく」って。そりゃねぇよ。ただただ悲しくて虚しいです。「子どものために」って言いつつも無知。どういうこと。

私は、年間100mSvの被ばくで発がんリスクが0.5%上がるっていうやつで、それだってリスクが上がるかもしれないし上がらないかもしれないとかそういう話だよね。その話でひとまず気持ちに一区切り付けられた。放射線とかより前に普通に(?)成人病とかそういう心配しようって思いました。だから普通に福島の食べ物だって売ってるものは食べてるし(おいしいよ!)、住んでます(地面には抵抗感あるけどね!)。まぁ、勿論自分がもう成人してるのもありますが。

あんまり悲観的にならず、いきましょう♪

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